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日曜朝はパクパクコンテストで始まった!パクパクコンテストの思い出

日曜日の朝といえば、「パクパクコンテスト」を楽しみにしていた小学生も多かったのではないでしょうか。
番組自体がおもしろかったのももちろんだけど、パクパクコンテストに出る同年代のかっこいい美少年を見るのも楽しみでした。

今回はそんなパクパクコンテストの懐かしい記憶と、そこから生まれたスターたち、そして“応募しそこねた”私自身の思い出を振り返ってみたいと思います。

目次

プリン&キャッシーの掛け合いが最高におもしろかった!

「パクパクコンテスト」は、もともと「プリン&キャッシーのテレビ!テレビ!!」の中の人気コーナー。
番組冒頭からおもしろさ全開で、ふたりの軽快な掛け合いから始まる。

「まいど」
「おいど」
「おいど」
「まいど
「プリン・はげ」
「キャッシー・ぶす」

横山プリンが破壊的で、今ではぜったいそんなことテレビで言ったらあかんやろっていうセクハラながいなことを言ったりめちゃくちゃしてた記憶がある。
ロン毛と口からあごのひげ、そしてサングラスに白いシャツとGパン。
頭頂部はつるつるというインパクト抜群の見た目。
小学生には刺激的なアクが強いキャラでした。
何をしでかすかわからないハラハラした気分でテレビの前にすわっていました。(笑)

パクパクコンテストの移り変わり

最初に「パクパクコンテスト」が始まったのは、「プリン&キャッシーのテレビ!テレビ!!(1973年 〜1975年)」の中のコーナーでした。
横山プリンとキャッシーのオープニングでの2人のかけ合いはよく真似したものです。
司会はもうひとり読売テレビの佐藤忠功アナウンサー

その後、司会が笑福亭鶴光と浅川美智子に代わって「鶴光のテレビ!テレビ(1975年 〜1976年)」になっても、パクパクコンテストのコーナーは続きました。
浅川美智子さんといえば、MBSヤングタウンで笑福亭鶴瓶とのコンビで鶴瓶からおにこべおりんと言われていた人です。みなさん覚えていますか?
番組内で鶴光とレギュラーっぽい小学生の男の子と女の子がいて「♪も〜もえちゃ〜ん、も〜もえちゃ〜ん」と歌っていて、その男の子がヤッチン(曾我泰久)だったと思ってたけどわからない。

それから翌年番組そのものが「パクパクコンテスト(1976年 〜1978年)」という名前になり、司会はピーター(池畑 慎之介)とキャッシー。
番組はじめにピーターが髪の毛をうしろでピンでさしてまとめて、ちあきなおみのものまねをしてたような・・・
ピーターとキャッシーのコンビもすごく面白くて私たちの間では人気があった。
友だちはふたりのことが好きすぎて「ピーターとキャッシー結婚したらええのに」ってよく言ってました。

そして最後は「あのねのね」が司会を務める「テレビに釘付け あのねのね(1978年 〜1979年)」へと引き継がれていきました。
番組名も司会者も少しずつ変わっていったけど、どの時代も「パクパクコンテスト」のコーナーは人気があって、日曜の朝の定番として長く続いていたように思います。

パクパクコンテストから芸能界へ!

パクパクコンテストは大阪府豊中市の千里セルシーホールで公開収録されていた関西のローカル番組だったけど、この番組から芸能プロダクションにスカウトされて芸能界入りをした男の子たちがいました。

■松原秀樹
■草川佑馬
■川崎真世

パクパクコンテストはその名の通り音が出ないマイクをもって口パクで芸能人のものまねをします。
歌唱力じゃなくふりまねなんで、やっぱりアクションが多い西城秀樹や山本リンダのまねをする子が多かったですね。
ほかにも常連でおもしろい子がいてたけど、誰だったかな?
毎週見てたら有名になるんですよね。今はもう60代のおじさん!?

3人は西城秀樹のものまねで、グランドチャンピオンになり芸能プロダクションにスカウトされました。
(松原秀樹と川崎真世はジャニーズ事務所)
当時はジャニーズ事務所と言っても、いまみたいにグループは多くなかった。
JJS(JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル)が人気ありました。

素人の男の子がアイドルに

松原秀樹・草川佑馬・川崎真世はわたしたち小学生女子にすごく人気があった。
草川佑馬もことは「小宮くん」って言ってた。(まだデビューしてないから本名の小宮一彦くん)
月曜日はパクパク話題で持ちきりだった。
プロじゃなく素人なのに、テレビってすごいなってつくづく思う。
これが現代なら関西のローカル番組でもあっという間に全国にひろがっているんだろうな。

子供の頃は、歌手とか俳優は東京で落語家や漫才師は大阪というイメージでだったので、アイドルのような彼らが大阪出身ということがすごくうれしかった。
でも、スカウトされて上京してテレビや雑誌で見たときは、少しさみしいような気持ちになりました。

松原秀樹がヤッチンとリトルギャングでデビューして、ジャニーズ事務所のみんな(JJSとか)とハワイに行った写真が載ってる明星は長らく宝物として持っていました。(確か全員、上半身裸でジーンズのショートパンツだった気がする。)

そういえば、クラスの誰かが「私のおかあさん、川崎真世のおかあさん知ってるねん」みたいなこと言ってマウントをとっていた。

パクパクコンテスト私も出る予定だった!

パクパクコンテストに出場しようと考えていた小学生や中学生は多かったと思います。
実は私もそのひとり。
小6のときにキャンディーズで応募するために、毎日休み時間になると友だちと運動場のすみにある鉄棒のところで猛練習していました。

曲は「年下の男の子」
私はセンターの“ランちゃん”を担当。
でもある日、スー役の子がいきなり「私より太ってるのにランはおかしい!」と爆弾発言…(涙)
それでもめて、結局、応募は幻に終わってしまいました。

あとがき|スタ誕とはちょっとちがう関西のノリ

全国ネットの「スター誕生!」では、未来のトップアイドルを目指す若者たちが大舞台で歌声を披露していましたが、関西の「パクパクコンテスト」はもっと身近でもっと親しみのあるステージでした。

そこに登場していたのは、自分たちと同じ関西弁を話す、どこかの学校にいそうな男の子たち。
大阪・千里セルシーホールのステージで、無音マイクを片手に西城秀樹になりきるその姿は、かっこよくて「もしかしてうちの学校にも出る子いるんちゃう?」とワクワクしていたのを覚えています。
(実際、西城秀樹なりきり男子は数人いてたんで)

関西らしいノリで、日曜日の朝は「パクパクで始まる」そして月曜日の朝は「パクパクの話で盛り上がる」――でした。
あのとき、憧れてたキャンディーズで出場はできなかったけれど、小学生のときの楽しい思い出です。
(パクパクコンテストには出なかったけど、クラスのお楽しみ会なんかではキャンディーズを踊ってました。笑)

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